2015/03/28

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さかい利晶の社

category - 地域
2015/ 03/ 28
                 
妹に誘われて、新しくできた施設「利晶の社」に行ってきました。

堺市が誇る千利休の「茶の湯館」と、与謝野晶子記念館があります。

茶の湯館は、「千利休と堺の町」、「千利休と茶の湯」、「千利休とその後」の3つのコーナーからなり、利休と堺の深いつながりや、茶の湯の歴史をひもといています。

中近世の堺は会合衆と呼ばれる有力商人によって、自治が行なわれていました。その中で利休とかかわりの深い人物の説明がありますが、千利休として、音声解説をしているのは、堺市出身の片岡愛之助さんです。

ちょっとおもしろかったのは、わたしたちが話をしていると、それを聞いていた知らない人が答えてくれることが数回あったことです。

例えば、「千利休を演じてる人は、えっと誰やったっけ?」と妹がわたしに言うと、近くにいた知らない男性が「片岡愛之助」と答えてくれるのです。

勝手に答えるのは、さすが、大阪人です。
たぶん、東京人はしないでしょう。

他にもわたしが「かいごうしゅう(会合衆)って、読むのかあ。えごうしゅうって読むのと思ってたわ」と、言うと、すかさず、また別の男性が「かいごうしゅうって、間違えてる。わしも、えごうしゅうやと思う」という具合です。

まさか、館が間違っているとは思えませんが。

ということで調べてみました。

以下、結果

小西瑞恵『中世都市共同体の研究』p.100では、豊田武『堺』で「会合」を「えごう」と読むのが本当であろうとしたことを批判し、諸史料から「かいごう」と読むのが正しいとしている。さらに小西氏は「中世の堺商人」において、高校日本史教科書でも会合衆のルビを「かいごうしゅう(えごうしゅう)」とするなど、一般に認知されてきているとしている。


つまり、わたしたちが学生だったころは、「えごうしゅう」と習っていたのでしょうね。
歴史は時折、解釈が変わるので、驚くことがあります。

茶室
利休


南蛮貿易の船(たぶん)
利休


利晶の社近くにあった、利休が使っていた井戸
利休




与謝野晶子記念館では、晶子の歩んできた道がわかるように展示されています。

晶子




彼女は12人もの子宝にめぐまれたのですが、なぜか、外国風の名前をつけた子どもが二人いました。
また、寛を追いかけるように、外国にも渡っているようです。
彼女のバイタリティあふれる行動など、初めて知ることが多々あり、興味深かったです。

短歌 床にはその歌に合う光が投影されています。この写真は桜の花びらです。

晶子


与謝野晶子




そのあと、立礼茶席があったので、お菓子と抹茶をいただきました。

堺市に興味のある方は一度行ってみてはいかがでしょうか。


マロン日記より

あさは、おにいちゃんと あそびました。
ひざの うえにも のりました。
でも、すぐ かえって しまいました。
つまんないです。
マロン


おかあちゃんと はたけに いきました。
みずやりするそうです。
ひさしぶりです。
マロン


おかあちゃんが どっか いったから おするばんを しました。
かえったら、おもちゃで あそびました。
でも、ぴんぼけ。
マロン


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コメント

非公開コメント
        

No title
勝手に答えてくれるのは、思い当る事ばかりです。(笑い)
<えごうしゅう>と思っていました。過去のドラマでもそれが使われてたような。
ビックリです。12人も子供がいたなんて。知ってはいましたが、その世話だけでも時間が足りないほどでしょう。
膝の上で満足そうなマロンちゃん、ほんとに可愛いです。
kazuyoo60さんへ
昔に習っていたことがいつの間にか、変わっていることがありますね。
えごうしゅうの方がしっくりします。

与謝野晶子は努力家だったのでしょうね。普通の人にはできない気がします。